2016年11月第1週

今週あった出来事。

仕事は3日しかやってない(木曜から4連休)ので、特に大きな変化はなし。うまくいくわけでもなく、変に悪くなったりしてないけど、来週からまた雲行きが怪しくなる気がしていて、早めにその辺の対応と回復策を見つけておかないとまたおかしくなりそう。

 

木曜日、祝日なのでどこに行く気も起きず、TSUTAYAでDVDが100円均一だったので(文化の日に感謝)、DVDを5本借りた。とりあえず木曜日中に2本見たけど、映画を見るのはなかなか力が必要になる。これから2時間拘束されるという事実に、2時間あったらあれもこれもできる気がして(気持ちがするだけで、実際には何かをやるわけではなかったりする)、躊躇してしまいがち。あと3本を休みのうちに見なきゃな~とは思いながら、結局見ないで返すんじゃないかとなんとなく自分の中では気付いていたりもする。そもそも、プライム会員なんだからプライムビデオで見ればタダじゃんという気持ちはあるのだが、そういうものにはお金を払いたくなる性質なので、その辺はあまり考慮もしない。夕飯は無心で餃子を包んだ。なんかすごく集中するし、うまく包めるようになってくると、自分すごいって気持ちになるので、餃子を包むのは何なら食べるより好き。野菜がもうちょっと安くなると言うことなし。

 

金曜日、平日なのに休みって最高だし、朝食とか食べたりするかと前の晩に考えていたが、結局起きたのは10時すぎていて、急いで外出。国立新美術館でダリ展を鑑賞。美術館にそんなに昔から行っているわけではないが、(幼稚園生、もしくはそれ以下なのでは?という子供さんも来ていて、ということは、そのころから通っている人も大勢いるので、僕なんかは完全に新参者であり、ずぶの素人だ)いつも疑問に思うのは、なぜ勝手に行列を作ってぞろぞろと動いて絵を見ようとするのかということ。展覧会には一応作品に連番が振られていたり、順路も設定されているが、並んでみるという決まりは存在しない。適当に絵の前に行って、見終わったら次の絵の前に移ればいいんじゃないかと思うけど、なぜかみんなで列を作っている光景をよく目にする。混雑の根源は間違いなくあれだと思うのだが、このあたりについて詳しい方が解説している本とかないかなとちょっと思った。ダリの作品展は以前にも行ったことがあるし、シュルレアリスム展とか諸橋近代美術館でも結構見たつもりだったけど、今回はダリが手掛けた舞台の衣装とかセット、あとは挿絵系も結構あっておもしろかった。特に、原子力を考えて以降の作品が好きで、「ラファエロの聖母の最高速度」とか「素早く動いている静物」が印象に残ってる。晩年だと、「海の皮膚を引き上げるヘラクレスがクピドをめざめさせようとするヴィーナスにもう少し待ってほしいと頼む」(名前の長さがもうよい)も好きだった。

午後からは、21_21 DESIGN SIGHTで「デザインの解剖展」へ。中身の面白さはもちろんなんだけど、展覧会の視点そのものが、たまに考えたりすることにすごくリンクしていて、めちゃくちゃ楽しかった。何でもそうだけど、1つのものを作るまでに、どうでもよさそうなところも間違いなくそれの一部なんだから、全てに意味があるはずだと考えるタイプの人間なので、できればすべてが説明できるものであってほしいし、調和がとれていてほしいとよく思う。(お店に行ったときに、建物と内装と音楽と扱っているものとがどう考えても結びつかない店は、もう気持ちが難しくなって即出てしまうタイプの人間です)デザインの解剖展では、取り上げているものの細部1つ1つがどうなっているのか、なぜそうなっているのかを細かく分析しようとしていて、勝手に、知りたかったのってこれです!!という気持ちになり、全部のテキストをできるだけ読みまくってすごく高まった。テキスト読みながら一人で「へぇ~」とか思わず声に出てしまっていて、今思い返すとかなり恥ずかしいやつだった気がする。

あとは、別にテキストを読まなくても、なんとなく見てるだけで楽しいというところもよかった。僕が「明治エッセルスーパーカップ」の名前について書かれてる文章を読んで、「エッセル」って造語でそういう意味だったのか、みたいなところに面白みを感じている横で、テキストをあまり読んでいないカップルが、

「「エッセル」ってどういう意味?」「よくしらない」「そこに書いてあるんじゃないの?」「あっちに大きな模型あるよ」「マジ!?」

みたいな感じで写真撮って楽しんでいたりして、いい感じだった。いろんな楽しみ方があって、各々楽しくなれる可能性が広がっている空間が最近はとても幸福を感じられる。

そのあとは、フルーツパーラーフクナガで洋梨パフェをいただいた。価格が安すぎていつも不安になるくらいだが、相変わらずパフェはおいしいし、雰囲気も良くて充実しまくった。隣に関西弁を話す女の子3人組が座っていて、パフェって本来こういう子たちが食べるからいいんだよなぁ、俺に食べられる運命だったパフェってどんな気持ちだったんだろうとか少し考えてしまった。洋梨が終わっても、冬になってもまた行きたい。

夜は、相変わらず酒のみたいとか思ってたらK君が声かけてくれたので、ビールを飲みつつお話。仕事の話と音楽の話とその他いろいろ話していたら、ルールが自分の中にある人のほうが好きになれることに気付いた。何でもありなら、何でもありというルールが事前に設定されている人のほうがいい。そういうものが積み重なったところが偶然のうちに見えて、一見変に見えても、それに従っているからこんな感じなんだと自分の中で消化できると、一気にその人が好きになっていく。でも、それって自分が理解できるように人を組み替えているだけのような気もしてきて、過去のあれこれを考えたりしてたら、突然映画を見ることになり、結局朝方になって、長い金曜日が終わった。まだ若いのか、いやもう若くないから、そろそろこんなことやめた方がいいのかとか思ったけど、やめるときは勝手にやめなきゃいけない状況に追い込まれるよなと気付いたので、それまでは流れ重視でと思いながら寝た。

土曜日・日曜日と特に何もせず、ちょっとMaschine触ったり、本読んだりして終わった。4日も休みが続くと、出歩く時間と休む時間が両方とれるので、かなりバランスよく過ごせる。とはいえ、これを書いている日曜日の夜には、もっと休みたい、てか働きたくねえなと思っているわけだが。

 

今週読んだ本。

最果タヒ『きみの言い訳は最高の芸術』。先週読んで、まだ読みかけだったので、残りも読み切った。なんか、「若さ」とか「思春期」とか「青春」とかに輝きとか綺麗さとか儚さ、みたいなものばっかり感じてる人がこれを手に取ることはきっとないんだろうけど、そういう人はそれでも生きていける気がしていて、そういう側面ばかりじゃないに決まってんじゃんって人が手に取る機会がたくさんあるといいなって思った。なんか違うなとか、痛いところを突かれるような記述も多分あるけど、でも、エッセイだから押しつけみたいなものは感じなくて、自分の中でこれ読んでまた考えたり思ったりすることが圧倒的に許される感じがした。

 

松田青子『ロマンティックあげない』。女性作家のエッセイは自分の普段見てる世界とは全く違う世界が等身大で描かれるので、とっても面白く読める。これもそんな感じ。しかも、著者は翻訳家もやっているので、外国ゴシップの話なんかも普段まったく気に留めていなかったのでそういう楽しみ方があるのかと新鮮だった。何より、著者がTumblr中毒だということを知り、ああ絶対いい人だ!!と勝手な思い込みが生まれたので、他の本も読んでみることが決定した。「時代は特に変わっていない」と「白いワンピースに色を塗れ!」と「ライアンのタトゥー」が特に好きでした。

 

今週聞いた音楽。

V.A.『Future Society Volume II』

INTERNET ORDER 「Fly On」

kissmenerdygirl「信じる//Believe」

Tenma Tenma「Noriko」

今週はFuture Funkの好きな感じのがいろいろリリースされていて幸せだった。

あとはなんとなく自分の中で今の季節に合ってる感じの曲を探してよく聞いたけど、その中でも特にということで以下3曲。

片想い「街の景色」

PARIS MATCH「(I'M STILL) LOST IN YOU」

www.youtube.com

EGO-WRAPPIN'「a love song」

www.youtube.com

 

 

今週考えた事。

 

年齢が上がってきて、1日の過ごし方とかでもその人の人生の進め方みたいな要素が乗っかってくるようになってきたので、みんな無駄に過ごす時間とかは着実に減ってる。そうなると、他人といるときに、目の前のこの人の今に僕ってなんか意味とかあるんだろうかとか1年前くらいはその辺すごく考えていて、一時期人に会いたくなかったりしていた。

 でも、最近冷静になったら、いやそれって重いなって気づいた。人を誘ったり、話したり、会ったりするのに過剰な重みとか意味を乗せてたってことなのではと思って、うわ気持ち悪いってやっと自分を客観視できた気がした。最近は、余計なこと考えないで、できればその一瞬が楽しくなって、なんかの時に、そんなことあったなって思い出すか、全然思い出さないかくらいにやっていきたいなって漠然と思いながら生きられるようになってきた。そもそも、次会うことなんてないかもしれないし。

 

明日になったらなんか変わるんじゃないかという漠然としたノストラダムス的な考え方をしながらも、とはいえ、10年経っても何も変わんないよなってわかりながらとりあえず生きている。それが、「何者」にもなれない人間の人生なんだとずっと思ってきた。ものすごく楽しい場所とか、感動する場所に行くと、そっち側に行けなくても、ちょっとでも生きやすくなるためには自分でなんかしないとなと思うことがものすごく多くなる。今度この場所に来れるのだろうか、それまで生きていられるのだろうかと純粋に疑問に思うから。「日常」が「非日常」のためにある人生でいいとは思ってるけど、「日常」を多少はよりよい「日常」のためにやらないとこの先割と簡単に力尽きそうだと急に怖くなった。

 

かつては、1人の1秒が、一瞬が、全てが、気になって、見ていたくて、頭の中から離れなかった時が間違いなくあったんだけど、あのエネルギーというか、集中力というかよくわかんないものって今も自分の中にあるんだろうか。あまりにもぼんやりと流れの中で生きているので、真逆みたいな状態のことをたまに考える。それともあれは病気みたいな一過性のものだったのか。検証してみたくなったけど、軽い気持ちで始められるものじゃなかったような気がして、諦めた。

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