かなり思い出しながら書いた最近の記録

気づいたら最後の更新が6月になっていた。心療内科に行ったことを書いていた。あれからまだ通っているが、確実に気持ちが楽にはなっている。薬の量は増えた。

 

6月某日に思い立ってイベントやりたくなり、こういうときにおれが頼れる人といえば、1人しかおらず、キスミナ君に相談。相変わらずいい人なので、賛同してくれて、箱の方も快く受けてくれて、5時間でほぼ全てが決まった。

 

上司との面談で、辞めたいという旨を遠回しに話すが、特に直接何かが動くこともなく、来期に向けた話をたくさんと、麻婆豆腐定食を奢られて終わった。

スカウトがきた知らない会社に行ったら、本当にすごくいい人が出てきて、おれはここで働くためなら何でもできるかもしれんと思ってしまった。簡単な人間だなあと思いつつ、今のおれに必要なものはここにあって、そんな仕事ならいくらでもやりたいと素直に思っていた。

 

小規模とはいえ、本当に初めての1人主催イベント。正直不安だった。配信したら30人以上が見てくれていて、中には投げ銭くれた方もいらっしゃった。こんな状況でもお客様も何人かきてくださった。何より、ゲストがみんな楽しそうで、お店に自分がお金を落とせたことが本当に嬉しかった。勢いで定期開催にすることに決めた。お客さんで来ていた方に次の日には連絡してブッキングが成功した。こんな幸せがあっていいのかと思うほどだったよ。

 

毎日の業務は辛かった。辞めたい気持ちがあっても、業務はやりきらなければという思いで、なんとか2年越しのPJを乗り切った。その後も、自分はどうせいないであろう来期予算やら採用関係の資料を作るなど、残業の残りも少なくなってきたが、とりあえずやりきるしかなかった。以前より気持ちが耐えられたのは薬のおかげだろうか、散歩ができない梅雨の辛さは真空ジェシカとママタルトが救ってくれた。

 

希望の会社から内定があっさり出た。世の中こんなこともあるものなのか。一応続けたら結局3社内定が出て、エージェントからの紹介の企業に入らなかったのはエージェントに申し訳なかったが、自分の価値を足りないところも含めて、少しだけ理解できて良かった。

 

退職交渉に手こずる。1度目は考え直してくれで終わる。異動でもなんでもさせてやるからとのこと。言い出したらそんなことになるくらいなら、もっと早くどうにかしておいてくれたらよかったものをとも言えたが、静かに一旦引き下がる。

周りの友達やエージェントから、そのままだとまずいと言われて、慌てて再度交渉。なんとか8末には辞める方向で話が固まって、そこから引き継ぎという流れでおさまった。とはいえ、長くはいたくないので、このあとも戦争の予感が続く。

 

8月のイベントを前に、コロナが再加速してきた。開催自体を危ぶまれたが、なんとか自前で体温計と消毒マシーンと殺菌シートを用意して開催。反省点はあったものの、自前でも頑張れば対策はいくらでもできることがわかったし、これはきっと今後必須になることがわかったので、これをスタンダードと考えることにした。僕が大好きなエクスクルーシブをゲストさんが流したとき、それまでの感情が全部高まって、僕は隠れて泣いていました。感動がすごすぎたよ。受け止めきれないほどだった。最後に撮った写真と一緒に、僕は幸せすぎるとツイートしたけれど、決して嘘じゃない。あまりに幸せすぎた、もっとたくさん幸せになれたらいいのに、いろんな人と。と思って続けていったら、またいいことあるかなとちょっとだけ考えてしまった。

 

本来であれば、実家に帰省するところだが、この状況なので諦めた。仙台に行ってしまった友達ともいろいろと話したかったけど、zoomで飲んで我慢した。久しぶりに2人で話して気持ちが良かった。

 

そして今、有給を使った連休の終わりに、ベローチェでこれを書いている。連休は、展示会に行ったり、本を買って読んだり、たくさん散歩をして終わりそうだ。たまにめちゃくちゃ友達と話したくなるときがあって、昨日がそれだったけど、急すぎるかと思い、断念。

 

9月のイベントのことを考えている。ブッキングは終わった。個人的には、前回から怒涛の日々を乗り越えた気がして、少し重たいものは違うかなと思い、テーマを明るめにした。どうなるかはわからないけれど、ちょっと新しいことにも挑戦してみているし、また誰かが喜んでくれるものになったらいいなと思う。そうなったら、僕なんか絶対大騒ぎして喜んでいるに違いないわけだし。

 

次はもう少し間をあけずにこれを書きたい。書き漏らしたことがたくさんある。