2023年3月

いつ言うかという機会をうかがいつつ、来週だなとなんとなくすべてを片付け始める。リモート中心の環境になったとはいえ、誰へのどんな気遣いかは全くわからんが、退職意思を伝える時くらいは対面がいいと思う。2月がパンク気味だったのは上司も把握しているということを暗に伝えられたが、まあそうなるような体制だからしゃあないと思っており、それとこれとは違うからややこしくならんか心配するなど。

 

ママタルトのYouTubeが正式に動き出していて非常に嬉しい。おもしろ長ツッコミは文字で見るとさらによいですね。

アトロクのアトランタベース特集でkelelaが流れて、知らなかったみたいなリアクションを聞くと、マジで世界は見えている範囲だけになってしまうんだなあと思う。別に知っているから偉い、知らないからハズイとかでは全くなくて。

アトロクの特集でデ・ラ・ソウルを初めてちゃんと聞き、めちゃくちゃかっこいいやんと思う。このタイミングで過去作もサブスク解禁ということで、しばらくいろいろBGMに使えそう。

 

もう別になんでもいいんですけど、ガキがいたら金足らんから奨学金どうにかするわみたいなんはいいんじゃないのと思うんですけど、「奨学金」というよりにもよってマジくそ制度過ぎるんじゃカスと全員が言っているものを引き合いに出してくるところが腹立つよな。ガキの教育費全般出しますとか、保育医療全般出しますとかだったらもろ手を挙げてやってくれやといいますけどね。そんなんこの時代にガキ作りたい、作ってるやつなんかやりたくてやってるんだからそれは応援してやれやというところまでは全員合意しているのに、その先で分断あおるのが頭いい奴のやることなんすかね。

 

もう全然全く嫌すぎるし、どうせこのあと金なくなるから解約するけどアーセナルが調子よすぎるせいでAbemaをプレミアムにしたのマジで最悪。調子よすぎるのは最高なのに。ネルソンの契約早く延長してくれ。

 

友人T氏から久しぶりにLINEが来たと思ったら、モンスターファームLINE版がサービス開始ということで早くやらなければならないのに放置している。やると一生やってしまうからかもしれない。早くやりたいけど、タイミングむずい。

 

石山蓮華氏が昼帯担当することになったのはとても良いことだと思っていて、事前番組の「あだぷと」を聞いている。選曲もいい感じなのだが、台本部分の内容が恥ずかしくなるくらいサムイ時があって、この選曲とかのセンスとの乖離は何?となったりしている。たびたび都市向けメディア等で見られるあの手の上滑り会話部分は良くない坂元裕二みたいなことなのではないかと思っている。

 

ムカつきすぎて書くの忘れてた。ハードディスク飛ばして10万で修理した。しゃあない。ハードディスクに全部入ってるから。おれの楽しかったこととかものとか全部入ってるから10万は安いってことにした。何回払いか忘れたけど。新しいハードディスクは当分飛ばないでくれ。

 

たとえ実家が直接被害にあって大変な思いしたとかそんなんがあっても、その時東京居たやつが何被害者面してんねんという気持ちがやっぱり大きくて、今日という日は関連の何かを何も直視できなくて本当にダメな人間だなあと思う。そして、そんな人間が今度は都合よくそっちで商売やろうとしているわけでして、目も当てられないと思いながらもそうすることでしか返せない何かがあるのではないかと勝手な言い訳をしている。

 

散髪。散髪時にどこまで言うか決めかねていたが、「明日会社辞めるって言うんですよ」と思い切って話してしまう。そこから何をどうするつもりかいろいろ話すなど。やはり先方はそういうのを経て店を構え客としての自分と向き合っているという状況を考えると、非常に冷静でありかつなんとなく「がんばったらいいんじゃないすか」的なマインドがあった。人と話すと本当にやらないかんな感が強まって、個人的には良いことだと思っている。具体的なことも考えなきゃいけないとか。とりあえず各種ページのドメインなどを抑える。

そのあと服を片付けてブックオフに売りに行く。初めての経験だが、量が多くさすがに持ちきれないためタクシーで移動。どうせそんな金額にはならないだろうなと思っていたが案の定タクシー代の方が高くついた。残念。

 

久しぶりに会社に2日続けて出勤。退職意思を伝えるため。2日目でようやく上司を捕まえたと思ったら、人員を増やしたいという話をされる。思わず、そのままに退職意思ややりたいことを伝える。一通り話しきるか切らないかのところで、「週3,4日で仙台からリモートで働けばいいんじゃない?」的なことを言われ、なんか思っていた展開にならず、安堵なのか拍子抜けなのかよくわからない気持ちになる。

聞けば、上司が最近見た映画が自分がやろうとしていることと重なっていたらしく、応援せざるを得ない気持ちになったと言われるなど。これを正直にとらえていいのかわからなかったが、もうなんか「私は本気なんです」をここで言っておかないとダメそうやなと悟り、とりあえず自分の今の想定をできる限り話続け、こいつの考えは嘘ではないということをとりあえず思ってもらうところまでは行けた気がする。とはいえ、裏側では家を引き払うことを決めており、今の家にも長くはいられないのだが、本格的に始めるまでは東京で的な雰囲気になり、そこだけ不安要素を残してしまうなど。

ということは会社に残留するということで、役職を降りることも必要ならありという話と誰か人を増やしたいという話をされ、前職時代に一緒に働いていた人で1人よさそうな人がいるからそれでもよいか確認。とりあえずいいから紹介してくれということで、早速LINEを試みるも「Unknown」の表示。ショートメールをとりあえず送り、返信を待つ。

辞めたとしても食べていくための副業的に今の仕事みたいなことはせざるを得ないと考えていたので、「辞める」だったものが「辞めない」に変わったことは、結果的には良かったとは思うのだが、なんか気持ちの収まりどころが見つからない。とりあえず方針の変更を両親に電話で伝える。おそらく母親は安堵していたところもあると思うので、よかったということにしておくかとも思いなおす。

頭の中で考えていた、人生の「東京サラリーマン編終了」に伴う変化などが白紙になったからといって、日常は待ってはくれず、もはや二足の草鞋を履くとなったときに困らない方法を今から準備していく方向にシフトしていくことになった。唯一の心残りは、変な髪形にしたり髪を染めることは当面できなさそうだということ。若い時にやっておけばよかったと、本当にできなくなる時に初めて思う。

 

とりあえず荷物をまとめ始める必要があり、段ボールにひたすら本を詰める。ならべてあったり床に置いてある分には全く思わないのだが、こうして出して箱に詰めるとこんなにあるのかよ、バカなのかよと自分でも思ってしまう。そのときに1度読み始めたら最後、永遠に片付かないということもわかっているため、無心で段ボールに詰め込む。詰めている途中で、新書はもういらないなとなんとなく思う。新書ブーム期と大学生の時期が重なっていたこともあり、それなりに冊数があるが、関連の内容を読みたい場合にはハードカバーで買っていたものを手に取ることが多く、なんか後から見たときに結構虚しくなるような感じが個人的にはしてしまった。1冊ずつ力を入れて作られているのだとは思うが、今本を読むならファストに消費できるものではなくてもいいのかなと個人的には思ったが、早川からは新しい新書レーベルが立ち上がるというニュースを目にするなど。実際、去年売れた現代思想系の新書も、重いテーマをファストに理解できる、しかも日常(ビジネス)などに接続できるような感じもするみたいなところがおそらくは大きかったんだろうと思う。個人的には、それならあっちゃんのYouTubeでよくない?と思わなくもないが、それでは格好がつかない人も一定数いるのだろう。

 

ショートメールには翌日返信があり、軽く概要を伝えるため久しぶりに電話で会話をする。仕事仲間といえばそれまでだが、言ってしまえば元請と下請けの関係だったわけで、そこから元請だったやつが今度は仕事の誘いという、どう考えても相手に甘えまくりの超強引なお声がけになってしまっているが、頼れて信頼出来て一緒に仕事したい人がその人しかいないので頭を下げる。聞けば、あの疲れが癒えずに定職についていないということで、とりあえず飲みに行くことに。どういう店がよいかは、大学時代の友人諸氏に意見をもらい、本当に一人ではなにもできないということと周りに恵まれすぎていることを実感する機会となった。

 

たまむすびの終了が近い中、アトロクの時間になってもなおラジオが耳に入ってこないくらい忙しくなってきている。年度末が近いということもあるが、とはいえ仕事量があからさまに増え、自分がやらなければいけないことがいくらなんでも多すぎる。そりゃ辞めさせないようにするよなあという気持ちと、構造的な欠陥がいよいよ大きな問題に波及しそうな予兆を感じながら仕事を進める。

アトロクではアカデミー賞の振り返り特集がおもしろかった。予想特集も聞いていたからとはいえ、いろんな映画やキャストの関係性や立場、それに伴う予想と振り返り、悲喜こもごもというところはあるのだろうが、みなさんの本音も交じりながらおもしろかった。特に今年は「エブリシング・エブリウェア・オールアットワンス」が席巻ということで、見に行くことを決める。木曜の競技タイピング特集もなかなかおもしろかった。もう普通にタイピングしているものとはおそらく全く違うものであり、そこで超人技が磨かれ競われていることがラジオを通じてよく伝わってきた。競技タイピングのチャンピオンがTBSの関連会社で働いていることを知ったときの宇内氏のリアクションの秀逸さに、大企業あるあるなんだろうなあと勝手に思う。役割ごとに会社を分けてホールディングスやグループ化することは珍しくはないが、あのリアクションなどを聞くと、なんでも分けて管理していればいいってものでもないのではという気がした。

 

土曜日。大阪在住のTさんが久しぶりに東京に来るということでTさん、Kさんと夕食。その前にコメダ珈琲で1時間ほど近況を話し、そのあとでクロアチア料理店「Dobro」に移動。クロアチア料理はどれもおいしく、クロアチアの特に白ワインがかなり自分の口に合っていてそれもまた非常にうれしかった。

各々の近況。Yさんはベトナム旅行と新しい仕事の始まりについて。非常に恵まれていたと今になれば思うが、これまで職種を変えることはなかったのでどこに行っても基本的にはおなじようなことをやればいいという分かりやすさが転職を後押ししていた自分にとっては、フィールドを完全に変えたY氏の決断はすごいと思う。それでも、氏が求めているのは別に大層な金額の給料や大きな規模の仕事ではなくて、普通に給料をもらって残業は少なく、たまの有給休暇で海外に行きたいというそれだけ。それでも、そういう大きな変化が付きまとってしまうのは社会として健全なのかというのは考えてしまうが、とはいえうまくいってほしい。

Tさんはパートナーととても仲良く過ごしているようで、その話を聞いているときがとても楽しかった。もちろん、細かい点や将来的な部分でやや不安に思われる言動などもなくはない気もしてしまうが、それも踏まえて楽しいのかなあとぼんやり勝手に考えてしまうくらいにはそういうオーラというか雰囲気がにじみ出ていた。しかし、食べるヨーグルトくらい自由にさせたらええやんとか2つ買えばいいのにとか平気で思ってしまう自分は、やっぱりそういう生活には向いていなかったのかなと思わせられる。

「結婚」や「子供」という話が周囲からは聞かれる年代であるというような話もいくつかしたが、現実には金銭や社会的環境が整っていても身体的にあきらめざるを得ない人がいたり、あるいは本人の意思としてこうしたいというのが明確にある場合などもあるということだけは忘れずに、友だちや大事にしたい人たちとは関わらないといけないなあというのは帰りにぼんやり思ったこと。そして、東京を離れて友だちと会わなくなったら、すごく寂しくなりそうだなということ。

 

K君が4月からの東京での生活開始に向けて引越してきたということと、自分の近況の話も軽くしたところで、とりあえず久しぶりに会おうということになり、それもまた楽しみに加わる。ベタに出会いと別れの季節とは言うが、正直なところそんなものがあろうがなかろうが適度に会って話したいというのが本音ではあるが、無理も言えない。それだけに、こういう機会はほんとうに自分を元気にする。

 

「丘の上の本屋さん」をシネスイッチ銀座で鑑賞。上司が見たという話をしていて、「見ます」と言った手前見ないのもなあというのと、単純にどんな感じなのか気になって見に行った。結論おもしろかった、いろんなタイプの人が古本屋を介して交わったりしながら、生活が動いていく。店主が冒頭で買い取った日記が誰もしくはどういう立場の人の日記だったのかが具体的にわからなかったのは、自分の読解力不足か。オチは悲しさはもちろんあるものの、かなりカラッとした感じというか、とはいえ本屋ってそういうもんでもあるよなという感じが共感できた。必ずなくちゃいけないものではないし、小さな本屋の1つの有無が劇的に何かを変えることはないと思うけれど、そこから何かを受け取った人の心には何かが残り続ける。そんな感じ。

 

その後、飯田橋の居酒屋で会社に紹介予定の前職で一緒だったT氏と久しぶりに会って飲む。前職を辞めてから今までの話や近況など、話すことは尽きなかったし、久しぶりにこういうかたちで会えること自体が嬉しかった。ふつうはこんな風に2年以上も経過してから会うような間柄ではないと考えると、少しは自分も誠意をもって仕事をしていたのではないかと思ったりもした。後半からは具体的に仕事の話。変な気持ち無しに、もう一度一緒に仕事がしたいということ、今度は対等な関係でもっと自由にやっていきたいということを伝えた。助けてほしいと。彼が「あなたがそう言うなら、そう言われたら断れないですよ」と言ってくれたのがうれしかった。

今思い返しても、前職はメンバーとして奇跡のようなそろい方をしていた部分も確実にあって、うまく歯車がかみ合えば間違いなく最高の仕事ができたのではという後悔じみた思いもある。そのメンバーを集められたのは当時の上司だったからというわけだが、一方であの職場が最終的に空中分解したのもまた当時の上司の存在があったからだったという、皮肉な事態だった。自分はおそらく空中分解の最後の部分を担ってしまい、そこまであるいは、それによって自分の初めての「部下」や「後輩」となった人々の人生をめちゃくちゃにしてしまったのだと今でも思っている。そんなことは私もそうですと言われたが、そう言える人と今度は仕事ができそうなのが嬉しい。そして、当時一時期だけではあるが「先輩」として頑張ってくれていた人も招いてまた飲みましょうと言われて別れた。会いたくないわけではないし、久しぶりに会ったらどんな話ができるのだろうと思う一方で、自分はその人に会うのが怖い。彼は「先輩」から一瞬「上司」になり、みるみるうちに精神・体調に異常が出て会社を辞めた。あの時、彼を支えるはずの自分が何をやっていたかといえば、自分の立場を守ることに必死だったのではないかと思う。彼があのようになってしまった一端は自分にも間違いなくあり、そういう意味では会って刺殺されても罵倒されても何の文句も言えないと思っている。そういう人を読んで酒を飲みましょうとはなかなかよう言えんというのが正直なところだが、リファラルが成功すると報酬が振り込まれることもあり、NOとは言えなかった。

翌日はWBCの決勝であり、前日自分にしては久しぶりにかなりのアルコールを入れたものの、使い物にならない状態で漂っている暇もないということで出社。在宅勤務でもそれなりに頑張っている方だとは思うが、とはいえ、制御が難しい状況になる日もあるので、結局はそういう時にいかに自分で無理やりにでも出社せざるを得ない。

 

仕事で久しぶりに完全なトラブル事案が発生。原因は自分ともいえるし、他部署の人間とも言えなくもない、微妙なところだったが、冷静に振り返ったときに「自分」6割くらいの気がしてきて、速攻謝罪と立て直しのための対応に時間を割く。俺のせいじゃないと一度思ってしまうと、結局対応するときのクオリティがあからさまに下がるというのはなんとなくの経験上理解できるようになってきたので、これは俺の凡ミスということにしてギアを上げる。ギアを上げたからといって取り返せるようなものではなく、せいぜい何とかなるくらいのところまでしかもっていけないが、その姿勢くらいは見せろやというのが世の常ということで、久しぶりに残業時間が40を超えて何かが失われる音がした。

 

そんなんもあり、WBCの優勝やらなにやらを飲み込む暇もないままに時間が過ぎていった気がする。しかし、大谷翔平がすごすぎることくらいはもはやだれの目にも明らかで、こんな人が出てきてしまったら、いよいよ野球の頂点を同じ時代に見ているのではという気さえしてくる。最後のトラウトとの対戦での直球えぐすぎる。そう思っても、2006のWBCを見て、今活躍している選手が出てきている現実があるということは、おそらくこれもまた誰かの物語の始まりになるのだろうと考えると積み重ねってやばいなと漠然としたバカの感想みたいになってしまった。

 

久しぶりに友人SさんからLINEあり。週末に電話でもということで正味3時間ほど近況報告とおもしろかったものや考えていることなどをあれこれ話す。もう完全に社会的な属性が変わってしまったので、お互いに考えていることや何を変化や面白としてとらえているかはおおよそ変わってしまったのだろうとおぼろげには思うが、それを明確にすることも野暮で、気づくと思うことや気になっていることを吐露していたのかもしれない。「機動戦士ガンダム 水星の魔女」、「チェンソーマン」を取り急ぎ見るようにということで、頭に入れる。いくつか自分からもおすすめみたいなことを言ったものの、多分それらが見られることはないだろうと知りながら真剣に話すおかしみを感じた。

気晴らしと、友人に会う話のタネにというところもあり、映画を見に行く。「エブリシング・エブリウェア・オールアットワンス」。アトロクでの話などから、個々の俳優に思い入れがある世代が見るとまた違うのかもしれないが、そのあたりはわからなかったので純粋にエンタメ映画としてはおもしろかった。最初何が起きているのかわからなかったが、ジャンプの概念が微妙に説明されたかどうかくらいのところでなんとなくわかり始めてからは、何かを難しく考える必要がなく見られた。その人にあったかもしれない様々な未来を見られるというのは、ある意味残酷だなと思う一方で、そこに落胆や歓喜している状態ではいられない。どこかの世界の「危機」と自分の世界の家族とか仕事とかのこれまた「危機」の前では、とりあえず戦うことが必要で、そのためにはジャンプのための馬鹿げた行為もやるしかないというのは、よくわかるし、矮小化になるかもしれんが自分の置かれた立場だけでもそれでもやるしかない感は至る所で感じ入るので、共感みたいなものが生まれやすいのもよくわかる。ジャンプのための馬鹿げた行為は「おもしろい」ではなく「馬鹿げた」だと解釈しているが、アジアや欧米ではどちらよりに解釈されているのかはよくわからなかったし、知りたくなった。少なくとも自分としては大喜利的な意味での「おもしろ」では別になかった。親切にすることだけでは現実はそう簡単に特にあの家族の場合には解決しないというのももっともだと思うし、そのあたりはハッピーエンドすぎる気もしなくはないが、「フィクション」でエンタメ映画なのでと自分の中では納得した。

翌日、今度は池袋で「THE FIRST SLAM DUNK」を鑑賞。世間から聞こえる劇賞に対して、「マンガ読んでないので」という弱すぎる言い訳一本で逃げてきていたが、そんなこと言ったらもう何も見れないということで満を持して向かった。アトロクで「そもそも今回の主人公は原作では深掘りされてなかった」という話は知っていたので、すんなり入れたし、なんなら終盤は普通に涙が出てしまう感動話だった。最終的にそこがあんまり強調されてこないくらいには、バスケシーンの攻防がとにかくおもしろい。実際の試合ではより複雑な戦術や読み合いが行われているのだろうが、映画で見る分には十分複雑だし、それぞれがちゃんと考えて動いているということがよくわかるのも、決まった台本に向かって進んでいる感じがなくてよかった。オープニングとエンディングの音楽も素晴らしい。ロックに対してもうそんなに思い入れもおもしろさも感じていない人間でも、あれは心がざわめく感じが音楽の力で引き起こされていたように思う。一応Dolby Atmosで見てよかった。

 

年度末の平日にも関わらず、K君+K君のパートナーのSさんとT君、Yさんと飲み。久しぶりにリラックスしてみんなで楽しく宴席ということで、非常にリラックスして少々飲みすぎたくらいだった。冷静に考えれば非常に不思議なことで、もうみんな大学生ではないし、家族がいたり転職をしたりしている。自分はそして自営業者になろうとしている。でもまあ今自分がハマっているものとか最近の生活の苦労や楽しみのようなことを聞いたり話したりしていることがとても楽しかった。ただ何となく自分の中にあるのは、もう多分昔の話を懐かしむのもええやろという気分であり、新しい人も折角いたりするし、何ならいずれは誰かの子供とか友達とかパートナーが増えてもこういう場って維持できんのかなということで、別にそれは強制したいとかではなく、でもどうせなら新しい人が入ったときにも楽しく過ごせるような気持ちでいたいし、もっとそういう人がどんなんやったのかとかも知りたいし、出会ったのは4年制の私立文系大学生としてだけど、もう別にそんなのはどうでもよくなってるし、そんな人ばっかりじゃないということをお互いに分かりあう場でもあるといいのにという気持ちだったりする。そういうことに気付けたのは良かったし、自分がこれからやりたいことってそういうこととものすごく関係しているなという気持ちにもなった。話の流れで、フィクションについての捉え方という話をして、「でもそれはフィクションだから」で許せることって自分の中でめっちゃ少ないんじゃないかって気持ちになった。もっとそれを明確にしたい。嫌いなものへのいちゃもんなのか、本当にそれを嫌いな理由が言語化できるのか。

本当に楽しくて楽しくて、別れ際が悲しくって、なんでおれはこうなってしまうんやという気持ちで凹みながら帰路についた。もし本当に自分の願いがかなうなら、こういう楽しい夜がこの後の人生にもそれなりにあって、そのうちの一つではみんなが、あの日会えなかった友だちみんな(それは誰かの友達だったり親せきだったり、こどもだったり、孫だったり、誰でもいいけど)がいる時間があったらいいのにって本当に本当に本当に思った。めちゃくちゃわがまますぎるけど、そんなわがままが叶う時間があってくれたらもう少し人生のこと好きになれるのに。

 

商工会議所にメールを入れ、今後の段取りを考える。送られてきた資料に書き込む内容は決まっているはずだったが、いざ考えると、この前の飲み会で自分が本当にやりたいことが見えた気もして、本当にやりたいことがわからなくなる。最初に噓をつくともう多分後には戻れない気がして、自分が見つけたような気持ちを探していると、家がなくなってしまうことや、なんやかんや現在の役職のまま次年度が始まろうとしていることなどのもやもやしたことが頭を覆い、また見えなくなってしまった。そんな言い訳をしている暇はないはずなのに。

 

本はいろいろ読んでいたはずだけど読んだ本を実家にいったん送ってしまったので、よく覚えていない。「VIP グローバル・パーティーサーキットの社会学」めちゃくちゃおもしろかった。おんなじクラブでも話が違いすぎるのが単純におもしろい。当然女性の搾取構造があり、プロモーターたちに対する搾取構造もあり、何重にもわたる搾取構造の中でそれぞれが騙されているという単純な話ではなく、それぞれの中にはそれに納得していたり、そこから飛躍を試みようとしていたり(実際にはそれはいろいろな理由でほとんどの場合難しいのだが)。ストリートとも厳密には言う感じでもないけど、こういうところを参与観察するというのはおそらく非常に難しく、それだけでも意義のある本だなと思った。

「レイヴ・カルチャー──エクスタシー文化とアシッド・ハウスの物語」をよんだ。こちらも長くて時間がかかったが、とても面白かった。レイヴがここ2,3年で日本でも盛んに言われるようになってきている。この本を読むと、コロナのストレスから抜け出すという意味で、既存の言葉で近しい意味の言葉として注目されているんだろうなとあらためて感じる。実際のレイヴの精神性みたいなもの(そもそも精神性というよりは一部にはあきらかにEの存在が大きかったわけではあるが)を追求するというよりは、野外で大音量でパーティーすることが「レイヴ」として受け継がれているような昨今、あらためて起源を噓か誠か定かではないと思わせるほどの突拍子もない話の数々は刺激的だった。そのころイギリスにいたら自分もどこで開かれるかわからないレイヴを目指して高速道路を右往左往していたんだろうか。

小沼理「1日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい」を寝る前に少しずつ読んでいる。あの頃の今も少し残るちょっとした他人との温度差や気持ちの違いがよみがえる感覚がある。よみがえるというよりは、徐々に見えないように自分で変えているだけかもしれないけれど。性的マイノリティとして生きる、という感じでもなくて普通に生きているだけなのに、時折それを強く意識させる社会や政治への言葉にするのが難しい感情はおそらくとてつもなくリアルであり、同時に自分はこの人たちに諦められないように生きていけるだろうかと考えてしまう。文章がとてもさっぱりしていて好き。