雑感15

なんとなく全てのスピードを意図的に遅くしようとしている。できるだけ流れないように、流れてもゆっくり流れるようにという気持ち。それくらいしか個人にできることはないし、一般人レベルでは本当にそれがちょうどいいのではないかと思っている。

 

小池・蓮舫への女性性に基づく非合理的な批判やからかいも去ることながら、石丸の山崎怜奈へのやってやりました感、ひろゆきの差別などもかなり反吐が出る。自分にもこういう側面があるんだろうか。嫌になってくる。お前が嫌になってる意味わかんねえよというのはそのとおりではあるのだが。

 

「人のエコーチェンバーを笑うな」を検索したけど誰も言ってなかった。

 

誰の悪口を言ってもよいか、というのをがんばって探した結果、自分もしくは自分に近しい集団のファンということになったのはなかなか興味深い。そうすると誰も反発しないから。悪口を言われているようなファンとは私とは違うという気持ちから、自分がその対象ではないと感じる。自分がその対象なら、イジられているくらいのことしか思わない。ので大きな問題になることがない。平和?

 

そんなものは免罪符にならないというのは百も承知で。過去に様々な差別、偏見の被害にあってきた人々の方が、それらの被害を社会的には被ってこなかった人たちよりも、敗北や否定に対して強く反応してしまうということはおそらくあると思う。ここにごちゃごちゃ言うのは、例によってまた社会的には被害を被ってこなかった人たちなのだが、その非対称性が問題になることはない。今を評価するという意味では正しいようにも思うが、今に至るまでを総合的に考える必要があるようにも思うのである。

 

話題になっていた鈴木涼美の朝日の文章。言いたいことはわからなくなかったし同意だった。高潔な内容もいいけれど、そんなものを考える余裕のない人には何を見せてくれたのというのはその通りだと思う。結果的には疲弊している人を救う政治をやるかもしれなくても、今の疲弊に何をしてくれるのかという意味においては、わからなかったということだと思う。

 

短い文をポツポツ書いていたら、長い文章が書けなくなってきた。もともと書ける方ではないが、それにしても書けない。

 

seiho氏の続報が関係者から公開された。めちゃくちゃ何にも解決していない。この状態でなお、どういう説明でブッキングされたり、したりしているんだろう。よくわからない。

 

選挙に関する分析がいろんなところで展開されている。政治空間としては、選挙から社会や政策やらを考えていると捉えれば健全なのかもしれないが、どこまで続くのか。個人的にはこれが疲れるという気持ちもよくわかって、難しい。

 

悩んでいたが、tofubeats「NOBODY」のLPを買う。レコードプレーヤーはあっても再生することは滅多にないのだが、それでもモノで欲しくなるものというのが一定数ある。

 

ラジオの書き起こしサイトを見たことがないわけではないので、なんとも言い難いところではあるが、それをもとにコンテンツとして何かを売るというのはなかなか大きく出たものだなと思う。古くはサザエbotとか、最近は坊主みたいなもんと同じだが、明確な著作権者がいる場合はそれではどうにもならない。

 

脳盗最新回、良かった。同年代からこういう話が出ることに安堵感さえある。

雑感14

アナウンサーというのは本当に一番割に合わない職業なのではないかという気がしてきた。星野源の騒動のときも思ったのだが、今度はバラエティでの選挙のルール説明について。アナウンサーは原稿に疑義を唱える権利がどれだけあるのか、何かが起きたあと個人のSNS等で何かを言う権利がどれだけあり、それにはどれくらいのリスクが伴うのか。そんなことを何も考えていない人によって、その1人の人権は簡単に侵される(選挙の方が1人の人権よりも大事なのだろうか)。選挙結果なんかよりもそっちのほうが絶望したくなる。

 

経済成長を信じていないはデフォルトになったが、今度は既存の政治に絶望しているがデフォルトになっているのではないかという気がする。特に30代よりも下に関しては。そうなる気持ちも分からなくはないし、実際にうんざりすることもたくさんある。毎日に疲れ、何も深くは考えたくない、なんとかして欲しいという気持ちが、蓮舫に向くこともあれば石丸に向くこともあるという事実に目を向けなければならない。後者が実際に求めているものは何なのか。今の僕には全くわからないけれど、わかった先で折り合いをつけられたらいいのに。折り合いの先が蓮舫的なるものになるか、安野的なるものになるかはわからないが。石丸的なるものについては、現時点では選挙屋だと思っているので、形にはならないのではないか。流れにはなると思うが。そのへんのまとまった研究があれば読みたい。

 

エコーチェンバーの中にみんながいると思うのだが、自分はエコーチェンバーをメタ的に眺めていると思う自信がありそうな人が怖い。

雑感13

taitan氏が奇奇怪怪で露悪に関して、自分が最近考えていたことと同じようなことを言っていて驚いた。てことは、一定数の人が同じことを思っているということか。ただ何を見てそう思っているのかまでは言っていなかったのでそういうこともたまにはあるってだけかもしれないけど。ただただ僕のような立場では、そのようなものに異様な怖さとおもしろくなさを感じて触れるものが減っていくのである。

 

左翼のユーモアは右翼のユーモアと同じくらいだめである。おもしろくもないものをおもしろいものとしている。相手の土俵でなぜ対抗しようとするのかもわからない。政治とユーモアの相性が悪いのか、インターネットと政治の相性が悪いのか。一方で、左翼のその一回の振る舞いに怒れるならもっと日常の人種差別やジェンダー差別にも怒れるのでは?という気持ちになる冷笑マンが喜び勇んで湧いてくるのもかなり気持ち悪く、インターネットでの政治なんてもう無理。

 

過去に〇〇をしていた、と言っていた、見ていたという話をもって断罪することは私はしない。私がそれに該当するようなことがあるから、というのもあるかもしれないが、人は変わるから。過去から変わったのかどうかを見極めればよいだけの話なのではと思う。「学んでいない」とか「反省してない」なんてのは誰が何の基準で判断できるんだろう。よくわからない。もちろん同じようなことを今もしているとかならわかるけど。

 

みんながそんなにSMAPを好きだとは思わなかった。いや、好きなんだと思ってたけど、音楽に一家言みたいな人も好きだったのか。いろんな曲を歌わせたがってる。ceroがもし楽曲提供していたらどんな曲だったんだろうと考えてしまう。いまだに津野米咲が提供したJoyを超えるアイドル曲はないように思えてしまうのは、なにかのバイアスがかかっているのでしょうか。

 

ルックバックを観たいという気持ちはもちろんあるのだが、作品としては圧倒的にフラッシュ・ポイントの方が好きです。フラッシュ・ポイントはルックバックと同じくらい騒がれて全然おかしくないと俺はずっと思っている。比べるものでもないかもしれないけれど。なんとなくホットさとクールさみたいな対比になる。

 

関係性萌えみたいなものに一切興味がないなあというのをいろいろ見るにつけ感じる。なんかその、人間のことをうまく見れていないのではないかという気がする。

 

山口一郎のYouTubeかなにかで喋っている動画が流れてくる。こんなことを言われることが辛いという話はあるのかもしれないが、こういうものをどう見ればいいのかわからなくなる。あのドキュメンタリーのあとのこれは、本当に大丈夫なのかと。それは本人にしかわからないのだが。

 

新自由主義」と同じ立場に「キャンセルカルチャー」が進出してきたと勝手におもっている。

 

優生保護法に関するニュースを見る。重く辛い。憲法の重要性について語られているのを見ることは常々あるわけだが、これが1番憲法のあり方、重要性を再認識する出来事だったように思う。

 

インティマシーコーディネーターを入れるように俳優が要望したことを断った監督のインタビュー。何もわかっていないということなのだろうか。そうなのだろう。僕にはわかってるから、そんな人をいれなくてもできると主張するのはいつも、監督やプロデューサーのような特権的な立場の人間だ。理解云々ではなく、お前という存在そのものが問題なのだ。俳優がその後に大丈夫だと語ったとのこと。それはもう残念ながら真に受けられないものになってしまっている。

朝ドラで主人公がキレたことに疑問を呈する人たちを見る。どんなに良くされたとしても、損なわれたという記憶が消されるかどうかは別だ。それはそれ、これはこれ。

なぜいつも割を食う側が我慢しなければならないのか。そう思いながら、私もまたある場面では割を食わせているかもしれない。

 

先週あたりから日中の稼働量が信じられないくらい下がっている。気温と湿度にやられ、ギリギリ形が保たれている状態にある気がする。

 

プレミアリーグはとてもすきなのだが、ジャッジに関してはあまりにとらない、あまりにとる時の差が審判によって極端で、特に前者の場合は怪我人が多くなって困るのでそんなにいいものではないと思っているが、結構それを良いとしている人も多そうで怖くなる。ドイツとスペインの準々決勝を見て。

 

東京都に住んでいないので都知事選挙に対して言うことはないが、たくさんの意見が毎日溢れている。正直見るに堪えないものが多すぎて、辟易する。個人的には、個別の政治家に対する考えもあるが、そんなものは求められない限り開陳する必要はなく、ましてや住んでいない人間が住んでいる人にどうしてほしいなんて言う権利はない。どんな結果になっても選んだ人たちを尊重しないのは好きではない。

雑感12

「2028年 街から本屋が消える日」を読んでいる。内容とは全く関係ないところで申し訳ないのだが、会話部分なんとかしてくれ!読むのにとても堪えられない。普通に地の文で書いてくれませんか、ちょっと会話つらすぎる。読みやすくするためなのかもしれないですが、僕には苦痛すぎる。勘弁して。内容が入ってこない。がんばってる。

 

グリーンアップル動画はアイロニーの表現だったのではという話もちらほら。そういう見方もできるのかもしれないが、その反対の見方も全く同じくらい(現実には遥かにそれ以上)できるので、仮にそうだったとしても表現手法の稚拙さが出たということでしかないと思う。そもそもあれってキャンセルされたんでしょうか。批判に耐えられなくなり停止しただけではないのだろうか。もし本当に確固たる意図があったなら、引っ込めずに説明したようにも思うが。キャンセルの悪例を作ったとか言われていて、そんな言われ方もあるのかと驚いた。

 

「ポストフューチャーファンク/ポストヴェイパーウェイヴ」って具体的にどういうことなんだろう。銘打つくらいなのでおそらく明確な定義があるのだと思うが、考えてみたけどわからなかった。1つ思うのは、ああいう音楽はそれが具体的にフューチャーファンクやヴェイパーウェイヴの要素をもっているかどうかに関わらず、それらの存在に言及しなければ話出せないほどに、それらの音楽がテン年代を通じて大きなプレゼンスをもったということは間違いないのだろう。

 

「正義」はかなり嫌われる概念になっているように見える。僕は別に賢くもないので間違っているのかもしれないけれど、結構ロールズが好きなので少し悲しくなる。しかし、「正義」を振りかざす人は理性的でないというのはまたずいぶんな言い切りで、それこそ理性的な立場とは程遠いのではと思った。「正義」として嫌われているものは一体どんなことを指しているんだろう。ロールズ的なものとは異なるように思われるが、対話できるような学習が必要かもしれない。

 

モキュメンタリーあるいはフェイクドキュメンタリーについてのリテラシー知名度が上がったと思う一方で、それはホラー分野に限ったものな気がする。テレ朝の森香澄のモキュメンタリーは結構ベタに受け止められていたり、モキュメンタリーとしての楽しみ方ではない受け止められ方をしているように見える。みんな分かりやすく虚構と思えるもので安心しながら不安に陥りたいのだろうか。

 

タカラレーベンが盛岡に建てようとしている高層マンションに対する批判を複数目にする。「悪は存在しない」を思い出す。上流で何かをすれば必ず下流に影響がある。チラシに実際とは異なる山が掲載されていた件の謝罪文を見て、あの芸能事務所の説明会を思い出す。

 

笑いをとろうとするとき、人間は結構残酷になる。人道的な立場にいそうな人さえ、そんなときにはかなり嫌な表現をしたりする。僕が無意識なときに見ていたら笑えるはずなのに、一度意識がそちらに振れるともう笑うことができなくなる。もちろんぼく自身もそういう振る舞いをこれまでもしてきて、これからもしてしまうだろう。そのときに顧みられる人でありたい。

 

露悪的なもののブーム、特にマスではなんか来てそうな感じするけど、ああいうのはかなりうまくやらないともうだめだと思うし、先鋭化していった先には90年代の露悪ブーム的なものの結末を辿る気がしてしまう。

 

喋りにまとまりがない、声が嫌いというのはあるものの、文章で書くと推敲の結果何が言いたかったかがぼやけていくという感覚があるため、音声でも出力したほうがいいのではないかという気持ちがある。

 

1つのことをずっと考え続けている。あんまりそんなふうに何かを真剣に考えたことがなくて、世の中の人ってこんな感じなのかと思うと少し悲しくなったり羨ましくなったりする。結局思いつかなかったりしたら何にもならない儚さとか。思い浮かんでは消える。

 

有村氏がブログの広告消したって言っててかなりわかる、気持ちが。はてなブログの広告最悪すぎる。ほとんど見に来る人がいないけど、俺の精神の安定のために消したい。そんなことを思っていたら、RealSoundの荘子itと宮台真司濱口竜介映画に関する対談の間にエロ漫画の広告が出てきてノイズすぎる。

 

TVに映るNewJeansを見て、SMAP感という人を複数人見かける。この時言われているのはどのSMAPなんだろう。「しようよ」とか「がんばりましょう」とかだろうか。実際のところはあくまでもニュアンスにとどまるように思う。一定数の人たちは(私もその一人かもしれない)、まだどこかにSMAPを探しており、5人組で少しルーズに見える佇まいなどに勝手にSMAP性を見出しているのかもしれない。NewJeansとしてではなく、SMAPとしてのNewJeansに熱狂しているような気さえする。どちらも代替可能であり、まだ「国民的」と冠することが可能だった時代のものを知っている人たちだけの感覚。新しいものを新しいものとしてではなく、古いものの代替としてしか見れなくなること。

ニュージャックスウィングだけで言えば、それ以前にも韓国のアイドルがやっているのは多数あり、そこをNewJeansの革新性みたいな言い方することもできない。

 

都知事選挙。思うことはあるが、もう住んでいないので勝手なことを言いたくない。東京都知事が対応可能な問題と国がやる問題の切り分けって難しいなと思った。1つ言えることがあるとすれば、小池百合子関東大震災での朝鮮人虐殺に関する態度は最悪で、政治家としてその一点のみで僕は嫌いです。

 

こんなに疑似恋愛や疑似家族、恋愛の多様性、性の多様性を描いたエンタメばかりで、それらが一定以上の支持を得ているというのに、諸々の制度改革がなされていないのは、全然笑えない現実すぎる。もうすでに受け入れる準備が社会にはできているように思われるが。

 

ユーロを見ていると、タレントがいるに越したことはないが、前からプレス来られたときに突破するためのビルドアップのルールの整備とプレスバックの徹底、トランジションの速ささえあれば、ある程度は上にいけそうな感じがする。ナショナルチームではそのあたりの約束事を共有するのが難しいので、クラブレベルでは当たり前のことでもしっかりできていればタレントがいなくても良いサッカーをしていることが多いように見える。スロバキアルーマニアアルバニアなど。ぎゃくにセルビアクロアチアウクライナなどは明らかに足りない。

雑感11

radikoクソ過ぎるって過去の奇奇怪怪でtaitan氏が言っていて、そういえばそうだなと思い出した。仕方なく無視して使っているが、とはいえさすがにクソ過ぎるけど、慣れは怖い。

 

何を真顔で語るべきか、真顔で語らないでいるべきかというのはかなり恣意的な話であり、個人的にはものに対して真顔で見ることによる面白さと真顔で見ないことへの面白さに関しては結構フィーリングなのではないかと思う。それとどれくらい近いのか分からないが、「ベタ」な受け止め方があまりに多すぎるとは思う。「ネタ」という概念はもう存在しないのかもしれない。

 

LDHのグループとJP THE WAVYの曲、流れていたMステで初めて聞いた。マイアミベース。けっこう良かった。こうやって聞くとJP THE WAVYがラップうますぎるのがわかる。

 

JACK댄스がハッキングされたらしく、データが全て消えたということで有志なのかなんなのかはよくわからないがデータを別のところに置いている人がいて思わずダウンロードする。めちゃくちゃ思い入れがあったわけではないが、当時の空気感はどこかに残っていてほしい。pcmusic、maltineとなんとなくテン年代のインターネット音楽を作っていたように思う。それぞれは温度感が違っていたが、並行して存在していたことにより、参加者が各々自分にあったものを選び取れるので良かったのではと改めて思う。

 

今の歯医者、定期検診で掃除して貰うのに下の歯と上の歯で2回行く必要がある。前は1回だったので1回でなんとかならんかという気持ちがあるが、この歯医者では2回のルールがあるんだろうと思い、口にしないことにする。

 

マッドマックス・フュリオサを見た。面白すぎる、怒りのデスロードを観たときの衝撃と興奮を最後には思い出していた。なんやねんこの世界と思っていた怒りのデスロードのまさしく前日譚として、フュリオサのあそこまでの流れを知るとまたさらにグッとくるし、あのドンパチはやっぱり最高やったなという気持ちになる。途中の男性キャラとの関係性もめちゃくちゃ良かった。アトロクの映画評と放課後を聞いてさらに高まる。おもろすぎる。そして、できればドルビーシネマで見たかった。IMAXカメラ使ってないのでIMAXの意味無し。めちゃくちゃ空いてて快適さと同時に寂しさを感じた。

 

髪の色だとか服装だとかによる先入観みたいなものにしょうもないというのが大半になった世の中でさえ、女子スポーツ選手には見た目を気にしないことを求める世の中ではある。そのしょうもないという見方から弾かれる理由のある人なんているわけないのに。

 

もうこれは多分本当に好みの問題で、自分にとっては同じ音が鳴っていても、鑑賞時にブチ上がるのはバンドではなく、DJブースである。ギターを掻き鳴らす姿やドラムを思いっきり叩く姿よりも、ミキサーでエフェクトをかけていたり、パッドを叩いていたりする姿にフェチズムを感じる。

 

フュリオサ鑑賞後に丸善に行き、怒りのデスロード口述記録集を購入。とにかくおもしろすぎる。フュリオサ見た後にこの本を並べて買えるようにしておけばいくら売れるだろうか。ものすごいことになるに決まっている。面白すぎて一気に読んだ。そんなことがあってなお、あの映画が作られたという事実に震える。とにかく一つ一つのエピソードがおもろすぎる。キャストもスタッフもガチ過ぎるからこそのあれだけの説得力が映画にあったのだろうか。ジョージ・ミラーを誰も見限らなかった、信じていたことのすごさ。そして、フュリオサ撮影時のエピソードでも、同書内の俳優たちが言っていたことと同じことをアニャ・テイラー=ジョイが言っていて笑ってしまった。

 

 

雑感10

Rustieの復活。嬉しい。無理せず作品を作ってくれたら尚良し。

 

仕事を午後休にして、「牡丹色づく東名阪仙 漫才興行2024」へ。東京にいないとお笑いライブなんてまずいけなくなるだろうと思っていたが、このメンバーで仙台はレア過ぎるのでチケット応募したらとれた。会場は満席で、抽選に当たったのが幸福だったことに着いてから気付いた。ネタは全組まだM-1の感じではなくてめちゃくちゃ悪ふざけ多めで最高。真空の2本目めちゃくちゃおもしろかった。ママタルトが27時間テレビのバスケのくだりやってて、めちゃくちゃ笑った。帰りが遅くなるも、おもしろの満足が圧倒的に勝利。

 

川原くんのクイズさんをようやく視聴。おもろすぎる。ずっと見てられるくだらなさ。基本的には同じことをやってるだけなのにおもしろい。銀シャリ橋本が例え過ぎてるのも途中からその行為自体がおもしろくなってくる。

 

小原晩の蓮見翔による人気は、有名人の生活圏内の本屋に作品を置きまくるのが良いのではないかということを考えさせる。献本ではこれは実現できない。重要なのは芸能人に能動的に読ませることだ。

 

本当に興味のない業界、未だに興味を持てない業界に就職してしまったことを本格的に悔やむ。睡眠以外の大半の時間を使っているにもかかわらず金を稼ぐ方法ということにしか使っていないのはなかなか効率悪い。今頃になってその路線をどうこうするのもむずいのでルートを完全に外れるというのがやりたいのだが、どこまで行けるか未だわからず。

 

てけしゅん音楽情報を見たことはないのですが、何かを言っている人たちを同タイミングで見かける。何が原動力かはさておき、Twitterで何かを申し立てようとしているとき、自分は何かおかしなことになりかけていないかということに自覚的にあるべきだなと思う。おそらくあのチャンネルは音楽の大衆化に一役買っていて、あれに文句を言いたい人がさらに文句を言いたかった、その他の音楽系YouTuberへのカウンターとして機能しており、批評家がやるにしては大変なことをしっかりやっているのではないのだろうか。もちろん、個別の批判はあってしかるべきだし、内容への批判もまたあってよいと思うが、Twitterに書き始めると全てがおかしくなるように思われる。

 

他の人を将来的に昇格させることについてあれこれ言われるなど。別に好きにやったら良いと思うが、私が邪魔なら全然そう言ってもらって構わないし、なんなら辞めるとこちらから言ったのに、いまだこの役職で働いているのはなぜなのか。

 

ちゃんとした会社の場合には、上司に対するパワハラ疑いのような文書を提出した場合には当該上司には内容を確認できない状態で然るべき組織から当該上司へのヒアリングなどが行われるべきだが、一極集中的な組織で組織の頂点にそういう声が上がっても何の意味もない。そもそも会社ではない場所にいるのかもしれない。

 

SONICMANIA、音楽好きが望むラインナップとフェスに行きたい人が望むラインナップの狭間をいい感じについていて素晴らしい。MAJOR LAZERと牛尾憲輔が同時に見れるイベントというのはすごいと思う。

 

ラフプレーがどうこうというのを相手チームに向けて発信するのは筋違い過ぎるが、審判に文句を言えば処分等の可能性があるので、相手は次に対戦することもないしいろいろ言うかというのが透けて見える町田の監督の発言。怪我人が出たかどうかはマジで結果論。カードでそれを制さなかった審判が悪い。マナーについては学生に限ったことではないが、そういうのを匂わせることで悪印象を与えるのはかなりキツイ。具体的な発言などを指摘して対応もしていないのは単なる萎縮を誘発する行為。

 

日本の中で差別的なものを作ってる分にはかなり鈍感でいるが、他国でそうとも捉えられかねないものが見つかったらめちゃくちゃに騒ぐのは、日本の中にいるからそう思うのか。ミセスグリーンアップルのMVの話。

そして、ミュージシャンにも喋りや文章力がないと終わるということがよくわかった。終わり過ぎてるコメント。

 

ケビンス単独めっちゃ良かった。幕間の作り込みに見える、くだらなさを真面目にやる方向に全突き抜け感。音楽はこれまで同様in the blue shirtで、ケビンスイコール有村氏という感じになってきた。

 

キム・ジヘ「差別はたいてい悪意のない人がする」は何度でも読んでおきたい。

雑感9

佳子内親王をニュースで見かけると、昔恋愛関係にあった人を思い出す。彼女は「私佳子さまに似てるって言われる」というようなことを言っていたから。たしかに少し似ていた気もするが、ちょっと違っていたように自分には見えていた。別に良いとか悪いとかの意味合いはないけど。今もニュースで佳子内親王を見ると、彼女のことを思い出す。姿はあまりもう思い出せない。

 

めちゃくちゃいろいろなことに気をつけて著名人がSNSでの誹謗中傷に長文で反論する。そこに誹謗中傷を行った人があたかも理路整然に見えるような短めのツイートで返信する。後者がAIに見える。あまりに人の感じがしなさすぎて。でもそういうAIの使い方、今後は全然ありそう。時間やメンタルを奪うために使われるAI。

 

なんでNHKが就活を応援しているのかよくわからないが、時事イコールNHKという印象をもたせて信頼できるメディアとしてのNHKを就活で植え付けようということなのか。

 

CYKのよくわからない声明。これってなんか出す意味ってあるんでしょうか。オトシマエ的な何かなのか。よくわからず。

 

H本君から悪魔融合的なmashupを送ってもらい聞く。おもろすぎるなあ音楽。おれは悪魔融合もサンプルズタズタのカットアップもサンプルもろ使いもどれも大好きなので、そんなんばっかり聞いていたい。彼の直近のmixもめっちゃ良かった。今は自分の感覚と近い気がする。近いとか遠いとかがわかって人のムードを類推できたりするのもmixの良いところだと思う。

 

ここ数日、奇奇怪怪を仕事中に聞き始めている。「現代ラジオスターと麻薬王」の回がかなりおもろい。ラジオスターとはどういう性質を持ちうるのかみたいなもんをかなり芯喰って言ってる。

 

ギャラクシー賞。フェンスと不適切が両方大賞的な扱いになってるの、おもしろいと捉えることもできるが、皮肉なもんだなとも思う。アトロクでのインティマシーコーディネーターの話を改めて思い出す。全話通じてなんとやらというものと、個別の表現に対する批判は両立すると思うがどちらか一方の見方だけが生きている例が多そうだ。

 

dodo × vava × tofubeatsの鼎談記事めちゃくちゃ良かった。vava × くるまの対談も良い。急に良い記事を連続で読めて嬉しい。

 

諸々デザインをやっていただいているI川さんから名刺の見本と栞をいただく。栞がめちゃくちゃかわいくて良かった。普通に知り合いの作ったものは愛着が持てて良い。人からの恩の割には返せていることが少なくなんとも言えない気持ちになること多い。

 

H本君から原稿。人間書き続けるとどんどん良くなる。

 

結構長めの文章を書いているが、ある程度の長さになると何が言いたいのかわからねえこいつと読み返すとなってしまう。実際に自分でも何が言いたいのかよくわかっていない。

 

マスなものをダサいと思ってしまいがちなのは自分の良くないところだと思っているが、そのターゲットに自分が入っていないのだから当たり前だよなと思っているところもある。マス/コアよりもお前がいいと思うかどうかで判断しろやというのはマジでそう。本当に好きなら知らんやつの批判とかなんとも思わんかったりするし。

 

Spotifyの1番再生するプレイリストを少し整理。曲数が多くなったり時間が経つといい曲が変わっていったりもする。前にいい曲だと思ったものを嫌いになったわけではない。

 

橋迫瑞穂氏の裁判。裁判内容については追っていないので分からないが、法廷画の表現に基準などはあるのだろうか。敗訴した方や凶悪犯罪者を意図的に揶揄するような表現が目立っているなどが実際にはあるのか。

 

dos monosの新譜、めちゃくちゃ良かった。昔聞いた時にはそこまでハマらなかったけど、今回はかなり良い。サウンドはhyperpop以降というともうええってと言われそうなのですが、世界的なバンド回帰の感じもありながらの独自性。ラップの感じにJAZZDOMMUNISTERSを感じる。

 

Coco Bryceによるイスラエル支持の話をTLで確認。こういうものを見てどう判断するかを委ねられるのが現代人か。

 

2010年くらいに流行っていたロックが流行り始めている、最先端世代に。いよいよ若い人の間で流行ってるものが最初に流行っていた当時若かった世代になってしまっている。andymoriのブームを眺めながら。

 

霜降り明星はベタとネタをかなりあえて分かりづらくしている芸人なので、最初の段階でスターにいまいちならなかったのだと思う。巧み過ぎたし、絶妙に分かりやすくならなかったというのは今もなお継続している。なので、売れているのにお笑い好きに好まれている特異な立ち位置にいる気がする。それ故に異常にピュアな存在として的外れな批判を受けたり、逆にめちゃくちゃ業界過ぎるやつとしても批判されていて、あらゆる批判を受け止めることで、その分かりにくさは幾重にも層ができ続けているのではないか。