なんとなく全てのスピードを意図的に遅くしようとしている。できるだけ流れないように、流れてもゆっくり流れるようにという気持ち。それくらいしか個人にできることはないし、一般人レベルでは本当にそれがちょうどいいのではないかと思っている。
小池・蓮舫への女性性に基づく非合理的な批判やからかいも去ることながら、石丸の山崎怜奈へのやってやりました感、ひろゆきの差別などもかなり反吐が出る。自分にもこういう側面があるんだろうか。嫌になってくる。お前が嫌になってる意味わかんねえよというのはそのとおりではあるのだが。
「人のエコーチェンバーを笑うな」を検索したけど誰も言ってなかった。
誰の悪口を言ってもよいか、というのをがんばって探した結果、自分もしくは自分に近しい集団のファンということになったのはなかなか興味深い。そうすると誰も反発しないから。悪口を言われているようなファンとは私とは違うという気持ちから、自分がその対象ではないと感じる。自分がその対象なら、イジられているくらいのことしか思わない。ので大きな問題になることがない。平和?
そんなものは免罪符にならないというのは百も承知で。過去に様々な差別、偏見の被害にあってきた人々の方が、それらの被害を社会的には被ってこなかった人たちよりも、敗北や否定に対して強く反応してしまうということはおそらくあると思う。ここにごちゃごちゃ言うのは、例によってまた社会的には被害を被ってこなかった人たちなのだが、その非対称性が問題になることはない。今を評価するという意味では正しいようにも思うが、今に至るまでを総合的に考える必要があるようにも思うのである。
話題になっていた鈴木涼美の朝日の文章。言いたいことはわからなくなかったし同意だった。高潔な内容もいいけれど、そんなものを考える余裕のない人には何を見せてくれたのというのはその通りだと思う。結果的には疲弊している人を救う政治をやるかもしれなくても、今の疲弊に何をしてくれるのかという意味においては、わからなかったということだと思う。
短い文をポツポツ書いていたら、長い文章が書けなくなってきた。もともと書ける方ではないが、それにしても書けない。
seiho氏の続報が関係者から公開された。めちゃくちゃ何にも解決していない。この状態でなお、どういう説明でブッキングされたり、したりしているんだろう。よくわからない。
選挙に関する分析がいろんなところで展開されている。政治空間としては、選挙から社会や政策やらを考えていると捉えれば健全なのかもしれないが、どこまで続くのか。個人的にはこれが疲れるという気持ちもよくわかって、難しい。
悩んでいたが、tofubeats「NOBODY」のLPを買う。レコードプレーヤーはあっても再生することは滅多にないのだが、それでもモノで欲しくなるものというのが一定数ある。
ラジオの書き起こしサイトを見たことがないわけではないので、なんとも言い難いところではあるが、それをもとにコンテンツとして何かを売るというのはなかなか大きく出たものだなと思う。古くはサザエbotとか、最近は坊主みたいなもんと同じだが、明確な著作権者がいる場合はそれではどうにもならない。
脳盗最新回、良かった。同年代からこういう話が出ることに安堵感さえある。