雑感5

TLで見かけて買っていたzineを読む。はて、これは何がどういう理由で取りあげられているのか。凡庸。凡庸なのをダメだとは思わないのだが、zineだとしたら物足りない。熱量みたいなものや、作らなければという切迫感がない。なんかの雑誌の特集の小さなコラムに載るならいいと思う。こういうものを安易にネットの評判で買ってしまわないようにzineを実店舗で手に取りたい。

 

何となく見始めたNHKのドラマ「天使の耳」を見終えた。最後に逮捕される流れ、それはそれで根拠が明白ならいいけど、自白のみでいくのかという疑問がなくはない。何より、最初の事件で主人公が誤ったことの反省が、最後の事件への向き合い方に活かされているわけではないのには違和感あり。そこを直せないのがこの主人公というのであれば、せめて、証拠の積み上げとかはしっかりしてほしかった。もちろん、時間が経過しすぎてそれを調べるのは難しいというのはわかるが。

 

円安がそんなに問題だと思ってもいいんですが、なぜそれを金融政策で解消しようとするのだろうか。減税や景気刺激策が政治によってなされていないことを批判するのならわかるのですが。金融政策を捻じ曲げたらわけわからんことになりますので。まだ左派がそっち系のことを主張していて嫌気が差す。補選の勝利を喜びながらも経済面のトンチンカンぶりにも自覚的であるべきだが、相変わらずそんな傾向は見られない。

 

柴田聡子特集のユリイカをようやく読んだ。自分は柴田聡子をちゃんと聞いたのが『愛の休日』からで、それも表題曲がジャングルだったという理由でだった。『ぼちぼち銀河』でやっとハマってという感じなので、ユリイカで言われているような曲に対してはそこまで思うことはなかったが、いろいろな人がめちゃくちゃ言葉を駆使して評しようとしているその音楽をもっと聞きたいと思った。しかし、あのころジャニスには間違いなくあったと思われる柴田聡子を聞いていなかったのはなぜだろう。いわゆる東京インディーともちょっと違ったから目に留まらなかったのか。

ユリイカを読んだ翌日に、叶姉妹との対談がナタリーに掲載されていてめちゃくちゃそれが良かった。

 

米津玄師のインタビューがNHKのニュースで放送されていた。ニュース用のインタビューなのでそういうことになったのかもしれないが、以前話題になった新譜に関するインタビューでの発言がそこまで引き出されていなくてうーんと思った。新譜はいいなと思った。軽やかさが過剰でないのが良かった。

 

桐野夏生原作のドラマを見る。なんというか、世の中にはめちゃくちゃに男がカスだったり、家父長制ゆえの面倒だったりすることで引き起こされている要らんことが多いのだと改めて思う。ドラマとしては、前にも見た同じ問題だと思っても、それだけ多いということは、それが現実だということだ。

 

何かを言おうとせずに何かを言うか、何かを言おうとして何かを言うかどちらかにしてほしい。何かを言っているようで何も言っていない人と何かを言おうとするあまりおかしくなっている人ばかりが目に付く。

 

そこにいるのは人間だということがどんどん軽んじられていく気がする。自分の感覚からも消えていくのではないかとさえ思う。

 

作家が死んだからといって特段何かを感じることはまだない。それくらいの思い入れをもった作家がまだ死んでいない、もしくはもう死んでいたからだと思う。ボール・オースターが死んだ。ムーン・パレスと幽霊たちを読んだ記憶がある。オースターも例外ではなくそこまでの思い入れはなかったが、ムーン・パレスを読んでいた頃のことを思い出して、悲しくなった。

 

三陸311メモリアルを外側だけ見た。隈研吾建築都市設計事務所が手がける。隈研吾は石川の復興アドバイザーに就任していた。日本の被災地には隈研吾の建物が建つのだろうか。

 

〇〇という本を置くか置かないかという話が世間を賑わせている。個人的には、出版されている本を取り扱うかどうかは本屋が決めれば良い話で、それに対する評価は、買う買わない、行く行かないで消費者が決めれば良いと思う。その本を売ることに対する抗議運動もしたければすればいいが、暴力等に訴えることはおかしい。本当にただそれだけだと思う。ヘイト本に反対することは言論でやれという人の気持ちもわかるし、そもそも置かない出版させないようにしろというのもわかる。ますます置く側の責任が問われているというだけの話だと思う。

 

俺は山崎怜奈氏を賢そうにしている人と思っていたので、別に何も驚かなかった。アメリカの大学での反イスラエルデモに関する発言。

 

フェスに行ったことがないからよくわかってなかったけど、テレビで映像見たらみんながたしかに同じ動きをしていた。星野源がフェスで自由な動きを促して話題になっていたので、なるほどと思う。コーチェラは揃った動きなんかそういえば全く無かった。フェスが何をする場所なのかについての認識齟齬なのか、音楽に乗るというのがどういうことなのかの認識齟齬なのか。「自由」を求められるというのもよくわからない話ではある。

 

大型連休の終盤、横になりながら本を読む。天気がとても良い。seaketa「きっと途中」を流す。とても心地よい。すべてが滑らかではない。引っかかりがある。音が広がったり縮んだりする感覚。

 

否定が多いのはメンタル不調か。

 

文フリのカタログを確認。全部買っていたら破産するけど、さてどうするか。ついでに展覧会にもいくつか行く予定だが、月曜日休みにしてしまったために行ける数が限られるのが悲しい。月曜日は「悪は存在しない」を見に行くか。