2023年12月

12月早々に会食。会食の機会なんてここ数年なかなかなかったし、会食なんてそもそも憂鬱なわけだが、それに加えて上司宅のタワーマンションのパーティールームとなるともう訳が分からなかった。タワーマンションに初めて足を踏み入れたが、外から眺めたり、話題の中に存在する場所であり、住む場所ではない気がした。しかし、残飯の処理などをこの年になって、金をもらっているわけでもないのにすることになるとは。

もう一つ。手土産は必ず分けて食べられるものにしなければいけないことを痛感した。少なくとも、誰がどう分けるか事前に決めてもいないし、簡単には分けられないものを買っていくべきではない。食品の手土産は見るものではなく食べるもの。いくら見た目が良くても、分けられないものは最後に下っ端が処理させられることをちゃんと考えてほしい。

 

朝からイヴ・サンローラン展へ。朝なら空いているかと思いきや、普通に並んでいた。のちに別の人から聞くと、外まで並んでいなかった時点で空いていた方だったらしい。展示は全体的にサンローランの発明というか、新しく作ったものというのを年代ごとにしっかり見せるようなスタイルになっていて、後半部分の美術の要素を取り入れたものの展示は美術館だからこその強みもあった。ディオール展と比べると、空間にやはり制限というか、特徴が東京都現代美術館の方があるので、その点のダイナミックさというか、壮観さみたいなものはなかったが、それでも何をやった人なのか、今の服飾への影響は十分に感じ取れる内容だった。自分で作ったスケッチを起点にディオールにつながっていくという驚異的な登場は、自身の行動力と言えばそれまでだが、完全なフックアップであり、そういう点は今もこの業界にあるのか、その頃でも特異なことだったのかは少し考えてしまった。やりようによっては、やりがい搾取にもできたところが、そうならずにこういったかたちで花開いた例よりも遥かに多くの搾取に疲れ果てた人も生まれていたのだろうと思ってならない。

来年から始める予定の企画についてYSD氏に相談。良く知っている人と話していると、芯を喰った内容にすぐに移行できるので、このあたりはその利点だなと思いつつ、あんまり甘えないようにしようとなんとなく気を引き締める。内容やフォーマットなどは雰囲気的に固まりつつ、あとはやってみてかなという印象。自分としては周りを信頼しているので特に心配はしていないが、言われた方が引いてしまうというのもわからなくはない。打ち合わせ後、モロッコ料理のレストランへ。西荻窪過ぎる。こういう体験ももうそんなにできなくなるので貴重。料理はどれもめちゃくちゃおいしかった。

 

歯医者へ。引っ越すんですよと話すと、まあそんなことはなんべんも経験してきているんだろうなと思いつつ、形だけでも残念そうな声を出す先生に信頼感が出る。特に歯が強い方ではないので定期検診は続けることとのお達しあり。

ずいぶん会っていなかったTNM氏とランチ。近況の交換などをしつつ、東京から離れる旨を簡単に説明。最近の調子というか考えていることなどを普通に話して聞いていると、時が動いているのか止まっているのかわからんなあと思う。大学生の時のような気もすれば、中身は完全に30を過ぎた我々を取り巻くあれこれであり、脳がバグる。また会うような気もすれば、もう二度と会わない気もして、なんか悲しい気がしてくる。

帰り途中、「人生とはなにか」的なことを聞くのを忘れたと言われて、完全に文章で答えるべき質問ではなくて笑ってしまった。真摯に答えたつもりだが、彼女が求めていた内容とはおそらく違うだろうなと思う。ただ、自分のこういう時の考え方はどうやっても曲げられるものではなく、むしろ、彼女のような上昇志向を持った人たちがこういうことを少しでも考えてくれていたらもう少しなにか変わるのではと、勝手なことを思う自分がいる。

ロスアプソンに初めて行く。通販はよく利用していたが、実店舗に行くのは初めて。BGMからいきなり早回しのサイケのようなものが流れていて最高にアガった。こういう場所があり続けるということの尊さを感じつつ、CDを2枚ほど購入。

 

荷物の整理の進まなさと仕事の忙しさと来年以降の取り扱いがふわっとしたままになっていて、ストレスが高いまま平日を過ごす。自分起因のものは、どこかのタイミングでエイヤでどうにでもなると思っているが、それ以外の要因となると、ただ待つしかなく、こればかりは仕方ないのだが、こちらから動いて情勢が良くなるものでもなくムズい。

 

所沢古本市へ。雑誌がフィーチャーされているということだったが、雑誌は特にめぼしいものがなかった。古いremixをいくつか購入。それ以外はいくつか良さそうなものがあり、なんやかんやで結構な点数になったので実家に送る。

TN氏とYSD氏と大森でコーヒー。相棒のロケ地らしい。その回をいまいち覚えていなかった。コーヒーも食事も非常においしくて、こういう店に来ることもなくなることをしみじみと感じつつ、誘ってくれる人たちに無性に感謝したくなる時間。TN氏が結婚するということで、めでたい。婚姻制度はクソ過ぎると思っているが、友人が結婚することはそんなこととは全く関係なくひたすらにめでたい。結婚しなさそうな人が結婚するというのはなかなかに驚きがあるが、そこまでの決意になる相手と出会えたということなのだと考えると尊い

大学時代の友人諸氏と忘年会的な何か。そもそもが東京から消え去るのでと勝手に言い出したやつが自分で企画する飲み会ってイタすぎると思いつつ、この歳にもなると来てもらえるだけでありがたい。自分がこれからどうするつもりなのかなど話しつつ、周りの近況なども伺うと完全に年相応の悩みや考えなどがつきまとっており、それらに比べるとなんと自分の幼稚なことよと思う気持ちと、まあそこまでもし行ったらこれだけ先生がいるのだから大丈夫やなという変な安心感を覚える。久しぶりにお笑いの話などもできてかなり楽しかった。中国に駐在している人とも電話で会話できて元気そうで嬉しかった。昔を思い出してエモいみたいなことからはそろそろ卒業したいが、たまにこういうことがあるとまだそういう感情になることを思い知る。

ここでも、男性側のセルフケア的な問題を少し感じる場面あり。子供がいればある程度は軽減される問題と、それだけではどうにもならない実情がやはりあるようで、どうすればいいのだろうと少し考えたり考えなかったり。

 

会社のオンライン忘年会。楽しくなさすぎる。せっかく楽しかった先週末の気持ちが消えかけた。この気持ちを維持しないと生きていけないのに。相変わらず荷物整理進まず。週も終わりに差し掛かるところで、社長面談の話あり。とりあえずは来年から東京離れるで問題なさそう。一安心ともう一息がないまぜ。荷物を少しだけ勢いをつけて片付けた。

 

自分の計画について、今年の振り返りと来年の方針について関係者集まってもらいMTG。年の瀬の忙しいタイミングで申し訳なさあり。なんとなく理解はしてもらったのかと思いつつ、みんなからすれば、まずは君が本当に金をためて売上を出せるかお手並み拝見という感じかなとも思った。もし自分がそっちの立場なら絶対そうなので。いくつかアイデアをいただき、真剣に検討しなければと思うなど。今後も協力してくれるという言葉をありがたく、心強く感じる。この人たちを離さないようにやらなければならない。自分の計画の甘さでしくじることがあっても、どうリカバリできるかということと、何かを依頼するときはなるべくやりやすい環境にしていく。とにかく忘れないように自分に言い聞かせる。

 

代々木のATELIERに予約して向かう。買いたい本は結構あったが財布との相談で上手いこといかず、無理のない範囲で購入。これくらいの広さでも十分店としては良さそうだなという気持ちと、ここに初心者が入るのはハードル高いなと思う。東京だからできることだ。自分は現にめちゃくちゃ迷ってたどり着いた。店内ではその道の専門家的な人と店員さんで話が盛り上がっており、会計のチャンスを逃し続ける。こういうのはこの規模の店の良さであり、一方で疎外感も生む可能性があって難しい。

 

東京都現代美術館で「豊嶋康子 発生法—天地左右の裏表」を見る。おもしろすぎる。こんな人がいたのをまだ知らなかった自分を恥じる。結果的にラディカルに見えることをしているように思えるが、知らないことをやってみる、社会と個人の間を埋めたり測ったりしている発露が作品なんだと思うと、いきなり突拍子もないことをやっているだけでは決してないことがわかる。現代の当たり前になっている規範への疑問というものは自分の何かを刺激するところがあり、本当にどこを見ても楽しいというか思わずぼーっと見てしまうものばかりだった。

MOTアニュアル2023 シナジー、創造と生成のあいだ」も見た。こちらもおもしろかったのだが、前者の衝撃を引きずっていた可能性あり。

 

社長と面談。何の話がしたいのだろうこの人は、おそらく人の話をしっかり聞く気はないんだな、といつも思っているが、やはりそんな感じだったので聞き手に回る。自分の主張も方針も変わらないので、それをただ伝えた。9.5割相手が話していた。

面談後、上司から改めて意思確認。社長は何か曲解をしていたらしい。まあそりゃこっちの話を聞いていなかったら無理もないかと思いつつ、改めて説明。特に相違点もなく、とりあえずまとまる。

 

来年から昇格する先輩と焼き肉へ。めちゃくちゃ楽しかった。仕事の話はもちろん、色んな話ができて嬉しかった。こうやって人間として好きになる人ができるタイミングで自分が辞めたり相手が辞めたりすることが多く、タイミングの悪い人生だなと思っているが、今回もまた止むを得ない。幸いにも今回は辞めるわけではないので、この関係を大事にしたい。甘いもの食べたいと言われてから当てもなくさまよい、結局見つからず解散したのとか、僕は結構楽しかった。

 

2023年にいろいろと個人的なプロジェクトに関わっていただいた、2024年にも関わってもらう予定の皆さまを集めて忘年会的な交流会。良く知らん人同士をうまく回す能力がなく、反省。どうしても自分の知ってる領域、クラブカルチャーや音楽などに引き付けすぎだなあというのと、そこから上手いこと別領域に話をスライドさせたり、雰囲気をドライブさせるきっかけみたいなものをもう少し作れたのではなど。良くわからん世界のことをそれぞれ知ってなんかおもしろいと思ってくれていればせめてもの救い。めちゃくちゃお酒を飲んだけれど、本当に楽しかった。参加してくれている人たちの中で結婚する予定があるというようなことも聞いて、また嬉しくなった。知り合いが幸せになることは素晴らしいことだ。

 

そのままMaltineのイベントへ。久しぶりのCIRCUSは当然昔と変わってなかったけど、自身の体力だけが低下していることがはっきりしていた。hirihiri氏のパフォーマンスが最高でした。死にかけで帰宅。

 

なんとか起きて美容室へ。一応ここに来るのも最後になる。あれこれ話しつつ、最後になって担当の方がジュビロサポだと知る。自分がサッカーにそれなりに詳しかったことに驚いていた。ジュビロサポも去年はなかなか苦しかったこともあり、今年も不安ということで、某ガンバサポからの不安も思い出しつつ、まあまあみたいなことを言いながら後にする。なんやかんや遠かった割にはここ数年ずっと通っているので、かなり愛着はあった。また機会があれば髪を切ってほしいし、自分のことが少し前進したら伝えたい気がした。

 

バスで世田谷美術館に行き、「倉俣史朗のデザイン—記憶のなかの小宇宙」を見る。作っているものの美しさは当然のように見ればわかるし、当時はもちろん、今でもかなり変わったことをやっているが、その背景というか、結局のところ何をしたくてこうなったのかみたいなものが明示されていて信頼できるなあと思った。創作物がなぜそうなったのかということに対して、「閃き」と言われれば、こちらはぐうの音も出ないのだが、その閃きの源は何なのか、何がしたくてこうなったのかが少しでもわかると、一気に「天才」から「人間」になる気が最近ようやくしてきた。「人間」が作ったものを見るほうが僕は楽しい。「天才」が作ったものでもいいけど、それは少し怖くなるけど、それが見えなくてもいいものもあるのがややこしい。エンタメに関してはあんまり見えてほしくない気持ちもある。と後からM-1を見て気付いた。お笑いが唯一それかもしれない。

 

M-1グランプリ、例年なら敗者復活戦からかじりつくが、今年はなんかそんな気にもならず決勝だけ見た。令和ロマンも好きなのでおめでたい。どんどん自分たち世代の人たちが活躍して欲しい。自分にとっては、真空が1番おもしろいことを毎年確認する大会になりつつある。まだ1番おもしろかったので、来年もせっかくならテレビで見たい。

「お笑い」の批評は本当にウケが悪いが、令和ロマンの分析などを聞くと、霜降りもそうだが、M-1に関しては勝利の方程式がある程度明確になってきているように思われる。それを知りながら、どう対応するかを競っている競技化がいよいよマジになっていて、そういうものを見たいわけでもないなあと思いつつ、M-1を作った紳助は漫才の研究をしていたわけで、そういう意味ではそもそもが研究でどうにでもなるやろということなんだと自分の中では一周した。個人的には、そういうのは見えないところでやってほしいというのと、とはいえ普段はそんなことを考えないでお笑いをやっているライブが大半ということも分かっているので、どちらかが良い/悪いとかではないとも思う。プレイヤーは売れるためには必要な場面で必要な対応をしているだけなんだし。

 

松本人志の性加害報道が出る。少し前にはSKY-HIのパワハラ報道もあった。そういうものはどれも等しく追求していく、つまびらかにしていくことを被害者が望んでいるのであればするべきである。(望まぬ追求による二次加害は避けなければならない)例えそれが自分の好きな人でも嫌いな人でも等しく行われることを願う。そういう問題はもう好きとか嫌いとかの次元ではないと思う。

 

自分のつてで入社してもらった、今となっては部下に当たるT氏から、入社時に言われていた、前職での共通の先輩であるF氏との飲み会をやってくれという要望を実現していなかったのが心残りだったので思い切ってF氏に電話する。自分も多少は責任があって仕事を辞めるはめになった人にどの面を下げて連絡してるんだという話は百も承知だが、先輩は快く飲み会の誘いを受けてくれた。飲み会当日、人生的には先輩である2人が楽しそうに話している姿を久しぶりに見て嬉しかった。久しぶりに先輩から近況を聞けて嬉しかったし、当たり前のように君のせいではないと言ってくれたけれど、それでもやはり何か自分の中には残るものがあり、結局自分はそれを忘れないようにすることしかできないなあと思う。F氏もそういう思いの人がいるという話をしていて、やはり短くてもこの人の下で働けて良かったし、あのときもっと支えれば良かったなあと当時の若く弱かった自分を恨んだ。

2人からは、今後の計画について、いろいろ聞かれて話したけど、この話って普通の人にはどれくらい理解されるものなのだろうとふと思う。マダミスの中古を取り扱えばいいのではと言われるなど。良くわからん領域なので調べる必要あり。

 

ヤマトの人を苛つかせながらなんとか荷物を送り終えたのが最終日前日。それでも入りきらないものをどうにかして、残りは退居立ち会いで持ち帰ることに割り切って帰省の新幹線へ。

 

こうやって東京生活が12月で一旦終わった。なんやかんや15年近く東京にいた。対ありでした。

 

実家で家族でボクシングを見たり、紅白を見たりして大晦日を過ごす。弟はまた少し髪型が変わっていた。

 

この日記は1/6に書いているので、その後地震が起きて、航空機の衝突事故が起きて、などなどいろんなことが起きたことを知っているが、それはまた来月の日記に書く。

 

2011年の地震のときに東京にいたことを時々未だに負い目に感じることがある。あのとき居たからどうということは決してないが、自分だけが安全なところにいた感じというか、あなたはいなかったもんねと誰かに言われる気がしてしまう。でも、いなかったものは仕方ない。いなかったという事実をもとにどうするか、ということでしか結局のところ次には進めない。それは恩返しをしなければとか、早く現地で手伝いをしなければということかもしれないし、あるいは自分の人生をできる限りしっかり生きる、楽しむことや悲しむことも含めて、ということでもいいと思う。いろんなやり方があっていいし、迷惑にならない限りにおいて、それを当事者以外の誰かが好き勝手言える権利はない。