2020年の10月から12月くらいの話。

2020年10月。ほとんどどうやったら早くここを抜け出せるかしか毎日考えていなかったと思う。とにかくここから早く離脱しなければ、この先の全てが失われると思った。引き継ぎ資料を毎日作り、出ろと言われた打ち合わせにはとことん出た。それでも、辞められる気配はなかった。

 

自主企画のイベント。諸事情で流れていた企画をようやくできることになって気合を入れていた。イベント自体は楽しかったが、客入りも視聴者数も芳しくなかった。ゲストの豪華さと自分がやりたいことができたことに甘えていたのかもしれない。これでもいいやと思った瞬間もあったけれど、どこかでこれではダメだとも思っていた。来月のプランを考えられなくなっていた。

 

11月末で辞めるための方法を考え続けて、最終的に診断書を取り寄せた。もともと5月から心療内科に通っていたこともあって、重みを持った。10月末を最終出社日として11月末退社が決まった。最終出社日もギリギリまで働いた。気付けば10月の残業可能な時間は残り15分だった。

 

2020年11月。1ヶ月の有給消化期間。とりあえずゆっくりしながらも、一方で生活リズムを乱さないようにしなければと思って規則正しい生活を心がけた。あとは、会える人にはなるべく会っておこうとした。歯医者に10年ぶりくらいに行くと、虫歯が3つあった。歯磨きは普通にしているつもりだったが、それでもプロから言わせると甘いらしい。歯ぎしりもあるようで、マウスピースを作った。最近の歯医者は治療が痛くないことが唯一の救いだった。

 

自主企画は、僕にとって唯一無二のDJが、1人セットをやってくれることになった。これは楽しかった。おれはもっとこれをたくさんの人に見せたいし、見られるべきものだと思った。来たお客さんがみんな楽しそうに、リラックスしている姿が印象的だった。こんなパーティーをいつもやりたいと改めて思った。こんなブッキングができる自分は幸せ者だと心から嬉しく思った。

 

コロナがまた猛威を奮い始めた。来月のブッキングはいい感じに進んでいたが、そもそもやれるかどうかが危うくなってきていた。

 

東京で初めて妹と食事に行った。別に兄らしいことをするわけでもなく、ただご飯を食べて、喫茶店で駄弁る。仕事のことやご家庭のことを伺い、時に相槌を打ちながら、時にそれはちょっとと言ったりしながら時間が流れた。何年か前に実家のリビングで毎日のようにやっていたことだった。彼女の家庭が平穏に幸せに続いていくといいなと思った。僕には何もできませんが。

 

千葉にも遊びに行った。いつも仲良くしてくれているというか、マジでいろいろ助けてもらっている彼のルーツや周りの景色とかを見てみたかったから。自分にはそういう気持ちがなくて、地元の景色に何かを感じながら、話したり、ものを作る彼が羨ましかった。めちゃくちゃ個性的では決してないこの場所でも、その人にとっては代え難い何かがあって、それを音に変えて表現しているんだと思うと、あのEPの聞こえ方は少しだけ変わった気がした。彼が嬉しそうにここでパーティーできるんですと言っていたことが僕にも嬉しかった。

 

その他、前職関係の多くの人と飲みに行ったりなど。意外と慕ってもらっていたり、気にかけてくれていた方もいたのだなと実感。そういう人とはもっと仕事していたかったよと心のなかで思うのは間違いないが、それだけではない会社を恨む。

 

久しぶりに大学時代の友人たちと飲んだ。楽しくて楽しくて仕方がなかった。あの人たちと飲んでるときは、酒が美味しく感じるというか、酒が燃料のようで、この時間が終わらないで欲しくてたくさん飲んでたくさん話してしまう。最終的にはめちゃくちゃに酔って後悔するのも分かっているんだけど。話題は年相応になったりならなかったり。また同じように飲みに行ける日が来るといいな。

 

2020年12月。久しぶりにこの気持ちになった。3年半振りの転職初日。するすると進んでいくような気がしたが、わからないことが多すぎて無力感だけが残った。エンジンをかけるのに手こずったが、なんとかやっていけそうな手応えを徐々に掴み始めた。

 

東京の感染者数が増えている中、パーティーをなんとか開催。本当は呼ぶはずだったゲストが呼べなくなったりして辛かったけど、当日は出演者の若くてキラキラした個性が眩しくて、それにお客さんも満足していて嬉しかった。幸せだった。一旦やり尽くした感が出たので、来月はラジオでもやってまた作戦考えましょう、年越しのポートタワー楽しみにしてますと言って別れた。

 

とりあえず1ヶ月働いた。何となくちょっとだけやっていける気がした。東京の感染者数は歯止めがかからない状態になっていて、納会もオンラインだった。仕事納めの日は、手持ち無沙汰なまま過ぎた。

 

お笑いライブに行くようになったのは2020年だ。年末に行ったAUNも風穴もとてもおもしろかった。AUN真空ジェシカがめちゃくちゃおもしろいまま優勝したのはとても嬉しかった。

 

妹から連絡があって、急遽宮城に帰省することに。個人的にはものすごく抵抗があったが、こういう時期に帰ってきてくれと老い先短い祖父母や両親が言うのだから、帰ることが正しいのかもと自分に言い聞かせた。

年末年始を例年どおり家族と何をするでもなく過ごして、新しい年になった。東京の感染者数は4桁になった。自分が次にここに来る時は、いつになるのだろうとぼんやり思いながら、実家を出た。

 

仙台で大学の時の友人と酒を飲んだ。仕事の話からプライベートの話まで、いろいろ話して楽しかったし、最後はベロベロに酔ってしまった。少しだけあの頃みたいになって、彼が早く東京に帰ってきたらいいのにと思った。帰りの新幹線で嘔吐して、頭がガンガンになりながら帰宅。この歳で飲みすぎはさすがに辛い。

 

仕事始めで会社に行くと、東京の感染者数が異次元に達し、翌々日からは緊急事態宣言という話が駆けめぐり、在宅勤務が決まる。ディスプレイ買えという無言の圧力に屈し、急いでその日のうちにヨドバシカメラでディスプレイ購入。在宅ワークは捗るかと思ったが、この狭い空間にこんな圧迫感のあるものが出現したことで具合が悪い。

 

ここまで書いてからまた書き始めるまで1ヶ月かかったので、1月の話は次にします。なんとなく2月にはまたパーティーやりたいなと思っていたのに、気付いたらそんなことは夢のまた夢でした。今はとにかく知り合いの好きな人と意味もなくシャンパン開けてデカい音で音楽聞きながら絶叫できる瞬間を夢見て家で死んだ目をして仕事をする日々です。