3月や4月に思い出すこと

別にその時期以外も思い出したらいいし、忘れないようにしたらいいじゃんと思ってるけど、人間、少なくとも自分は生きていると常に覚えていなきゃいけないことを忘れてしまう。忘れようとしているのか、本当にキャパシティの問題で忘れているのかは定かではない。

 

人の人生は簡単に壊せてしまうこと。大したことのない人間である自分でも、他人の人生を簡単に壊せてしまうこと。壊し方なんていくらでもあること。壊された人から殺されても仕方ないことをしたことがあること。この国では犯罪になっていないだけで、犯罪みたいなことは簡単にできること。合法的に人の人生を壊しても相手が悪いみたいにできること。素知らぬふりして生き続けることが可能であること。壊したあとにどうなったかを知ることは多くの場合できないこと。知ったからといって多くの場合何もできないこと。人の人生を壊しても腹は減り、飯が食えること。人の人生を壊しても、眠くなり、安眠できること。人の人生を壊しても、金を稼ぎ、好きなものを手に入れられること。人の人生を壊しても自分の人生を守れること。

 

ただの破局といえばそれまでだが、高校時代から一緒だった人と20代半ばで訳のわからん自分の身勝手な振る舞いのせいで別れた。20代半ばまでの一番キラキラしているとされた期間を壊したと思う。

 

心療内科に行くとかそういうことがわからなかったとき、仕事に追われて自分の中でおかしくなって気付いたら夜中歩いて知らない場所にいた。朝になってそのまま電車に乗って、静岡の海岸にいって、一日それを見たあとで夜中に海に入った。そのまま死んでたら良かったけど、そんな勇気もなくて死なずに帰ってきた。あの時から親は本当に子どもがわからなくなったんだと思う。子どもはもともとわかり合えるとは思っていなかったけど。親の心が壊れる音が、公衆電話から聞こえたのをまだ覚えてる。捜索願が出される手前だった。

 

新しい会社に入って初めて先輩と言えるような関係性で仕事ができる人ができた。嬉しかった。一緒にならいろんなことができる気がしたし、目に見える理不尽を変えられると思っていた。彼が先に偉くなったとき、支えなければいけないところで支えなかった。今思えばそれは嫉妬だったのかもしれないし、自分こそが大事なんだといううぬぼれだったのかもしれない。ときに理不尽に責められる彼を見て見ぬふりをした。彼は会社に来なくなった。会わなくなって数ヶ月して、彼は会社を辞めた。最後に会ったとき、彼は酒が飲めなくなったと言っていた。食事もなんでも好きなように食べられるわけではなくなっていた。そのあとで自分は昇進した。表彰されて沖縄に行った。沖縄は何も楽しくなかった。

 

初めて明確な部下ができた。理不尽に責められることが多い子で、できるだけ守ったつもりだったけど、つもりでしかなかった。彼は責められ続けた。彼自身に本当に落ち度があったかどうかは問題ではなかった。そんなものを見続けているこちらの方が先に逃げ出した。そのころには心療内科を知っていて、薬を服用して耐え続けた。本当に耐えたり逃げたりしなければいけなかったのは自分ではなかったはずなのに。彼がどうなったかを見る前にそこから逃げるように辞めた。

 

新卒で入ってきた彼女は明確に武器になる人間性をもっていたけれど、上司とは合わなかった。理不尽に責められ続ける姿を見続けた。ただ見続けただけだった。壊れないように手を伸ばしたように見えるけど、本質的には何もしていないようなことをして、自分を正当化した。ある時彼女も会社をやめて故郷に帰ると連絡があった。壊れる可能性があるのに、知っていて知らないフリをした。壊れたあとで後悔しているようにした。本当にしなければいけないことはそんなことではなかった。

 

協力会社の彼は若くて活力があった。初めは1人でいろんなことをやって、後に同じ会社からたくさんのひとを引き入れることに成功した。うまくいっているときはなんにも問題なかった。会社的には上下があっても個人としてはいい仕事仲間だと思っていた。うまくいかなくなり始めたとき、彼がやり玉に上がった。多少彼が原因のところもあったかもしれないが、構造上、彼が勝手にできることは限られていた。そのうちすべてが彼のスタンドプレーとして扱われた。彼は普通のことが普通にできなくなって、自分の会社からいなくなり、所属していた会社も続けられなくなった。

 

心当たりのある人に刺し殺されても何も文句は言えない。その人たちに殺されるなら喜んで殺されると思う。そういう人が世の中にいて、自分がそういう人を作り出せるということを思いながら、また理不尽に人に評価をつけてしまった。

 

こんなことをウジウジずっと考えてしまうのは資本主義社会の発展していく会社には明らかに向いてないので早く辞めた方が多分いいんだと思う。